 第二竪工入坑桟橋 どんな思いでこの階段を昇り、下ってきたのだろうか。 生死の分かれ目の中での地底から帰ってきた安堵感が炭坑マンの表情にある。 |
 廃坑後でもこの第二竪工入坑桟橋を見れば在りし日の炭坑マンの姿が見えてくるような気がする。 |
 三代目のドルフィン桟橋 島の玄関口であり唯一の交通手段であった船。 今は定期船も途絶えた。 |
 大正5年建築の日本の鉄筋アパートの最長老である30号棟 90数年の歴史を今でも背負いながら建ち続ける。 |
 かっては島一番のアパート。 65号棟は300所帯のマンモスアパート。 9階の屋上には保育園。 人の息吹が今でも聞こえそうである。 |
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 島の最上部にあった端島神社。 安全祈願と慰霊の場所。 また子供たちの憩いの場所でもあった。 春の祭りの賑わいもあった場所。 |
 総合事務所跡 かっては多くの炭坑関係者が往来した場所。 風雨に晒されながらもレンガからその栄華を感じさせられる。 |
 毎朝開かれた市場。 多くの行商の方々の新鮮な食材が午前中で完売した。 かっては5000人の胃袋を満たした。 |
 閉山から30数年、人が住み続けたアパート群は一部を除いてはすべてが当時のままにタイムカプセルになっている。 |
 階段の作りにも端島らしい工夫がされている。 機能的でありながらデザインを考える余裕さえ感じられる。 |
 人が消えてから、海はコバルトブルーに、緑なき島が多くの緑に覆われているのは、皮肉なことかもしれません。 |
 昭和49年閉山が決まってからの桟橋風景。 毎日のように紙テープが人々の別れの中に舞い上がった。 そして3ヶ月ですべての人々が消えた。 |
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 この島の守り神、端島神社今でも祠だけは凛としてそびえ立つ。 |
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 かっては島一番のアパート。 65号棟は300所帯のマンモスアパート。 9階の屋上には保育園。 人の息吹が今でも聞こえそうである。 |
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 閉山前はこの通りは夏にはプールへ向かう道であった。 今でのプールの中のラインがその場所の存在を残している。 |
 人が消えても町並みはそのままである。 向こうから当時の賑わいが聞こえてきそうである。 |